こころの習慣365日 65日目

#65

人間の持つすごい能力は、
起こる出来事を幸福にも不幸にも、
どちらにも意味付けできるということです。


過去に傷ついたことのある人々の中には

もう誰も愛さないぞ。
自分は一生不幸せな人間なんだ」

と言う人がいます。


一方、

「私はこんなに傷ついた。
その分、他人に対してもっと優しくなれる」

と言う人もいるのです。


こころの習慣365日

===============

事実は事実として。

解釈のしかたは人それぞれ。


同じ物事でも、立ち会うその人の、
色眼鏡、物差しによって、解釈それぞれだと感じたのね。



「海」

キレイな海をイメージする人もいるでしょう。

汚れた海をイメージする人もいるでしょう。


岸壁の荒波でしょうか。

整備された穏やかなビーチでしょうか。


「筋トレ」

疲れるし面倒…と思う人もいれば

鍛錬は心地いい…と思う人もいたり

肉体労働をしているから必要ない…と考える人も。


それと同じように、解釈は色々。

ならば、「その意味を良くしなきゃ」という義務ではなくてね

必ずしも前向きなワードが良いということではなくてね

ポジティブに変換必須!ということではなくてね


「その意味を自分にとって、心地いいものにするならば」

「どちらかというと、前を向いているような、前を向いていないような…」


幸福を意味したいのならば

そう思うのであれば

「その意味を良いものとして捉えるとしたならば」

と解釈を得るのもいいのかもね。